「向かうところ敵なし」の時代は終わった。VUCA時代の製造業に押し寄せる難題
志賀氏は、かつての日本の製造業は「愚直に改善を重ねれば必ず勝てた時代だった」と語ります。技術を作り込み、現場が日々改善を重ねてコストを下げ品質を上げる。これを徹底すれば勝てる、と当時を振り返ります。
「バブル崩壊前の日本企業は、正直、向かうところ敵なしです。負ける気がしませんでした。迷いもなく、いいものを提供し続ければ勝てる。そういう時代だったんですよね」と志賀氏。
しかし今は「VUCAの時代」「正解のない時代」へと様変わりしました。内部環境では人手不足、設備の老朽化、技能伝承の課題が山積し、外部環境では地政学リスク、材料費高騰、ソフトウェア化、脱炭素対応、サイバーセキュリティ、レアアース輸出規制といった難題が同時並行で押し寄せています。

象徴的なのがサプライチェーンの分断です。志賀氏が50年の現役人生で経験したサプライチェーン分断による工場停止は、阪神淡路大震災、中越地震(リケンの工場停止)、東日本大震災のわずか3回。それが今や半導体不足を含めて当たり前のように起こります。「昔はラインを1時間止めたらクビが飛ぶぐらい、止めるなと必死でした。それが今は災害も含めて、ものづくり自体が難しくなってきています」と志賀氏は指摘します。
一方で、日本のものづくりの強み――高い技術力、職人の技、部門の壁を越えたすり合わせ、人を育てる文化――そのものは変わっていません。問題は、この強みをどう生かし、変化の時代に適応させていくか。そこに志賀氏の問題意識の出発点があります。
今の時代に必要なのは「変化に強い現場」
こうした難題の中で志賀氏が導き出した答えが「変化に強い現場」です。
従来の成功体験に基づく改善の繰り返しでは、もはや勝てません。「生き残るのは最も知的な種ではなく、最も強い種でもない。生き残るのは、自らが置かれた変化する環境に最もよく適応し、順応できる種である」というダーウィンの思想を参照しながら、志賀氏は現場自らが変化していく重要性を訴えます。
「トップの側に必要なのは変革力です。変化を恐れずに学び続け、組織の集合知を最大限引き出せるファシリテーターとしてビジョンを示す。それに呼応して現場が、自ら状況を理解し判断し、俊敏に動く。これが変化に強い現場の姿です。」
では、変化に強い現場をどう作るのか。志賀氏は5つの土台を提示しました。挑戦したことを評価する風土、AI時代だからこその三現主義(現場・現物・現実)への回帰、前提を問う「そもそも論」が歓迎される文化、リスキリングが当たり前になる組織、そして経営陣・管理職の現場に対する圧倒的なリスペクトです。
特に「そもそも論」については、「我々はPDCAを回すのは得意ですが、『そもそも、なぜこのPなんだっけ?』と前提に戻って問う議論が苦手です」と志賀氏は指摘します。同調圧力の強い日本の組織で前提を問う声を歓迎する文化を育てることは、容易ではないからこそ経営層の意志が問われる領域です。

今の日本の経営者は現場に降りているか
講演の核心として志賀氏が最も力を込めて語ったのが、「経営者と現場の距離」というテーマでした。「変化に強い現場を作ればいい」と現場任せにしては絶対にうまくいかないと志賀氏は断言します。「経営陣・管理職の、現場に対する圧倒的なリスペクトがないと、現場は変革できない」と繰り返し語りました。
「製造業の経営者・幹部の人は、今こそ日本のものづくりを築いた創業者たちの姿を振り返るべきだと私は思います。トヨタの豊田喜一郎さんは、工場でエンジンがかからなかった際、スーツのまま車の下に潜り込んで油まみれになって直し、現場を奮い立たせました。ホンダの本田宗一郎さんはスーパーカブの開発で自ら作業服を着て泥にまみれ、日産の鮎川義介は東京帝大卒の身分を隠して職工と働き、のちにアメリカの鋳造工場に渡り、現場で作業しながらノートにノウハウを書き留めました。製造業が強かった時代は、経営者と現場の距離が近かったんです」

そして志賀氏は、「今の日本企業の経営者と現場との距離はどうか」と問います。
「リーダーのあるべき姿を考える時、いま勢いのある中国の経営者たちにも見習うべき点が多いと私は思います。たとえばBYDの王伝福氏は、2025年フォードを抜いて世界6位の自動車メーカーを作り上げました。彼は、社長室ではなく本社の食堂で作業服のままトレーを持って社員と並び、ブレードバッテリーの改善にも自らチーフエンジニアのように関わると聞きます」
志賀氏は、中国のトップ経営者は「今日生き残らなければ明日はない」という極限の危機感の中で経営しており、現場と技術を理解しながら驚異的なサイクルで修正を続けていると分析します。
一方の日本の経営者は、組織を調整するサラリーマン社長が多いように感じると志賀氏。社内調整やリスク回避に長けた人物が階段を上り、組織の論理を優先して変化する現実に対応できない。「過去の成功体験が大きい組織ほど、トップが現場から離れた 『平時の管理者』になりやすく、変革期の意思決定が遅れがちになっているのではないでしょうか」と問題意識を共有しました。

強い現場を作るリーダーの条件
ここから志賀氏は、強い現場を作るリーダーの条件を提示しました。世界の最先端テクノロジーに対するアンテナの高さ、世の中や顧客の動きへの徹底した感度と現場への共有、自由にものが言える風通しの良さ、人を育て心に火を灯す力、「やっちゃえ日産」に象徴される挑戦を称える文化。そして最後はやはり、現場を愛することだといいます。
「経営層・管理職から愛されていると分かることで、現場は自己変革していきます。ただし、背広・ネクタイ・革靴で現場に入っていくだけではダメ。しっかり耳を傾けて現場の声を聞くことです」と志賀氏は強調します。
最後に志賀氏は、日本のものづくり研究の第一人者である藤本隆宏東京大学名誉教授の「最後の講義」を紹介しました。そこで語られたのは「AIはデータから相関関係を見つけるのが得意。本当の因果関係を理解し、ストーリーを組み立てるのは人間だ。これからはAIと人間のすり合わせが競争力の源泉になる」という結論です。
プレス機が止まる前に「昨日と油の匂いが違うぞ」と気づく現場の五感と、AIの分析力を融合させる。日本が培ってきたすり合わせの強みは、AI時代にこそ新たな競争力の源泉になり得る -そう志賀氏は締めくくりました。
VUCA時代の難題を前に、現場の強さと経営者の変革力をどう両立させるか。50年にわたりものづくりの最前線を見てきた志賀氏の講演は、参加者が経営・管理姿勢を問い直す場となりました。

本講演が行われた、第8回 ものづくり戦略フォーラム in 東京のイベントページは以下のリンクからご覧いただけます。
https://landingpage.tebiki.jp/conference20260626
執筆・撮影:市川貴啓 (Tebiki株式会社)