執筆者:
村木 宏吉氏(元労働基準監督署長)
教えられないとわからない
ある土木工事現場に行ったときのことです。少し先にいた労働者が、なんとなく様子が変でした。そのため、彼に近づいていくと、彼はそれとなく私から遠ざかるように動いていました。やむを得ず、同行していただいた元請の責任者の方に彼を指さして、「彼を連れてきてください」と頼みました。
目の前に連れてこられた彼は、外国人労働者でした。また、私が変だと感じた理由がわかりました。その労働者は、ヘルメットを前後ろ逆にかぶっていたのでした。
ヘルメットのかぶり方ぐらい教えてやってください、と元請の責任者に言いました。労働災害が発生したとしても、死亡災害ではない、休業災害だけど生命に別状がない、などであれば、労働基準監督署をはじめ、諸官庁は現場にやってこないことが多いものです。事故発生時に、被害が小さくすめば、警察署も労基署も現場には来ないかもしれないのです。
特に頭部の保護は重要です。2023年4月1日以降、自転車の搭乗者全員にヘルメットの着用が義務付けられるのは、頭部の保護で死亡者が大幅に減るからです。
「事例に学ぶ労働災害防止対策」で私は、若いときに先輩から「危ないと思ったら逃げろよ」と言われたと書きました。しかし、「危ない」とは、どのようなときなのでしょうか。
実は、多くの職場において、「危ないとはどのような場合か」を教えていないのです。幼児を見ればわかります。「危ない」が理解できないので、平気で危ないことをするのです。
新卒者や中途入社などの新人は、当然ながら職場の何が危ないかわかりません。次のようなことだけなら、もしかしたら教わらなくても「危ない」と思うかもしれません。
・高いところにある物がこちらに落ちてきそうになっている
・機械の歯(または刃)が高速回転しているが、そのそばを自分の手で加工物を押していかなければならない。
・フォークリフトの運転手が、自分が今ここにいることに気づいていない
・高温の物を扱うのに、扱いづらい大型のやっとこのような道具しかない
・とてもいやな臭いのするものがあるが、健康に害がないかどうかわからない
・ほこりまみれの空気の中で作業しているが、咳が出て止まらない
しかし、「危ない=職場における様々な危険性」は実に様々であり、職場でひとつひとつ具体的に教わらないと、「危ない」ということ自体がわからない場合が多いのです。
一例として次のような事案がありました。ある化学工場の改修工事現場でした。パイプのつなぎ目にフランジと呼ばれる帽子の縁のようなものがあり、その間にパッキンなどを挟んでボルトで締め付けて中を流れる液体の漏出を防いでいます。
ここでの作業でボルトを緩めていたら、つなぎ目から液体が漏れてきたので、作業者は持っていたレジ袋でこれを受けたところ、まもなく燃え上がり、作業者は大火傷を負いました。
中に残っていた液体は、空気に触れただけで燃え出す性質を持っていたのです。ところが、発注者は、液抜きの完了を確認せず、しかもそのような危険な液体であることを工事業者に教示していなかったのでした。
もう一つ火災を例に取ると、何年か前に中国で起きた火災では、禁水性の物質に消防士が放水したことから、火災がさらに広がり大災害になったことがありました。
誰が誰に何を教えるか、これはすべての職場においていえることです。
どう教えれば良いのか
次に問題となるのは、職場でどのように教えればよいのかです。職場では、教え方を学んだことがある方のほうが少ないのが現実です。そういえば、昔先輩からこう言われた、ということだけが頼りかもしれません。
実は、顧客のある企業では、「我が社では、誰も部下や新入社員への仕事の教え方を教わっていません。そのため、きちんとした仕事ができないままとなっています」と課長さんが私に言うのでした。これを放置しているためか、過去10年間に2人の労働者が死亡していました。労働者数100人足らずの工場なのに。
だからこそ、教え方そのものを、会社として組織的・系統的につくり、これに基づいて教えなければなりません。教えなければならない内容には、次のようなことがあります。
1 職場のルール(一般的に安全に関するものが多い)
2 仕事(作業)のやり方とポイント
3 安全な作業のやり方
4 安全装置の役割
5 機械等の点検の仕方と不具合が見つかった場合の対応
6 負傷したときの対応 等々
労働安全衛生法では、職長等教育の実施が一定の業種の事業者に義務付けています。同法第60条では、次のように定めています。
事業者は、その事業場の業種が政令で定めるものに該当するときは、新たに職務につくこととなつた職長その他の作業中の労働者を直接指導又は監督する者(作業主任者を除く。)に対し、次の事項について、厚生労働省令で定めるところにより、安全又は衛生のための教育を行なわなければならない。 一 作業方法の決定及び労働者の配置に関すること。 二 労働者に対する指導又は監督の方法に関すること。 三 前二号に掲げるもののほか、労働災害を防止するため必要な事項で、厚生労働省令で定めるもの |
この「二 労働者に対する指導又は監督の方法」が、教え方であり、職長教育のカリキュラムの中に必要事項が組み込まれています。教え方とは、子どもに対する場合を考えれば、実はそれほど難しいものではありません。叱りつけない、頭ごなしに言わない、まず全体に関することから徐々に細かい部分へと教えていく、等のことが基本です。
教わる側が知らないことで困るまで教えない、という方法もあります。一度にあれこれ言うと覚えきれないからです。職人は怒鳴るものだとか、上司は部下を叱るものだと思っていると大間違いです。なぜなら、怒鳴られた相手は、なぜ怒鳴られたかがわからないまま耳を塞いで「この人からは何も聞かない」と決心するからです。
このようなことを、役職者をはじめ教える立場にある労働者に前もって教えておくことが必要です。そうすれば、教え方を身に付けることを各人の自覚に任せるのではなく、会社として統一的な手法を確立しておくことができます。これは、労働者が入れ替わっても有効です。
実際の事例を多く知ってもらう
交通事故防止でも同様ですが、過去の災害事例を知ることは有益です。それによって、そのような災害を未然に防ぐにはどうするかを、考えることができます。そのためには、自社での過去の災害事例は重要な教材となります。
現に、ある企業では、10年以上前に発生した爆発事故について、その発生現場を工場の一角にその当時のまま保存して教材とし、安全衛生教育の資料に活用しているほどです。また、当時の問題点をおろそかにしないための象徴として、毎年の全国安全週間に全従業員に見せて工場長が訓示をしていました。
自社で発生した事案だけでは、災害事例としては十分ではないかもしれません。また、経験しないと防止できないというのでは、命がいくつあっても足りません。
そこで、関連子会社を含むグループ企業全体での災害事例を共有するとか、業界全体での災害事例を共有するなどのことを実行している例もあります。
例えば、港湾貨物運送事業という業界があります。全国の港で、船舶に荷を積み、あるいは荷卸しをする貨物取扱業の企業で構成されています。この業界では、全国の港で発生した労働災害を、なるべく早く、各地の港湾貨物運送事業労働災害防止協会の支部を通じて、全国の同業者にファックスなどで流す活動を続けています。
そのような災害発生事例を共有することで、各社において同種災害の未然防止活動の資料にしようというものです。
また、中央労働災害防止協会が毎年発行している「安全の指標」や「労働衛生のしおり」には、直近1年間(実際には2年前)に全国で発生した死亡災害等の事例が掲載されています。
厚生労働省や都道府県労働局のホームページには、過去何年かの死亡災害事例などが掲載されていて、無料で活用することができます。これらを見れば、「思わぬ事故」というのはほとんどないことがご理解いただけるでしょう。
そのようなことと合わせて重要なことは、それらの事案をご自分の職場に置き換えてみて「うちのココが危ない」とわかるかどうかです。それができなければ、いかに他社や他の事業所における災害事例を知ることができても、ご自分の職場での労働災害防止には役に立たないのです。
そのため、安全衛生担当者のレベルアップが必要なのです。
さらに知ろうとする意欲を育む
安全衛生活動に取り組む労働者は、それぞれの立場に応じて活動に参加していますが、さらに知識を深めたり、さらにもっと多くのヒントを得ようとする意志が重要になってきます。
残念ながら、安全衛生担当部署が花形部門である企業は多くありません。その上出会えて申し上げますが、他社の事例を知ることで、労働災害防止の経験と知識を身に付けることができます。過去の事例の中には、各社のこれまでの経験と知恵が詰まっていることが少なくありません。
そのため、同業他社や地域の他企業の安全衛生担当者との交流は、自社の安全衛生管理に役立ちます。当然ながら、それぞれの立場に応じて悩みもあるはずです。「新しい工場長がお金に渋い」とか、安全衛生委員会の予算が削られた、等の悩みを聞くことや、自分の悩みを聞いてもらうことも、じつは大事なことなのです。
ある企業では関連子会社を含めてどこかで労働災害が発生したときに、その発生状況等について全グループ企業の事業所に回覧させる取組をしていました。あるとき、その企業グループのとある事業所において、パトロールの途中で私はその類似機械を見つけました。案の定、安全装置がなかったので、「これは、グループ企業の○○社で3年前に死亡災害を発生させた機械と同種のものであり、安全装置がないという同じ不備があります」と私は言いましたが、その事業所では理解できないようでした。
その機械は、ダムウェーターを少し大きくした荷揚げ機械です。死亡災害を発生させたものは労働安全衛生法の適用がない大きさのため、送検されなくてすみましたが、ここで見つかったのはクレーン等安全規則に定める簡易リフトに該当する規模の大きさであり、労基署の立入調査で見つかれば使用停止等命令書が交付される可能性が大きいものでした。もし死亡災害が発生すれば構造規格違反で送検されることは間違いありません。
自社のその機械設備が、グループ企業の死亡災害を発生させた機械と大きさと構造が多少違うので、同種の物とは考えられなかったようでしたが、これでは、他の事業場での死亡災害の経験を生かすことはできません。類推することと、法令を正確に理解することと、さらに法令等に関する知識を今以上に増やすことが必要だと考えられた事案でした。
次に、安全衛生管理活動において、パートタイマーをはじめとする非正規雇用の方々の声は重要です。特に「やりにくい仕事」、「いやな仕事」はヒントが見つかることがよくあります。「危ないと思う」も重要です。
なぜやりにくいのか、なぜやりたくない仕事なのかを聞き出すことで、作業手順や作業工程の見直しにつながることもありますし、機械化することで解決することもあります。やりにくい仕事や、やりたくない仕事、危ないと思っている作業には、労働災害につながりやすい何かがあることが多いものです。よく聞き出して、解決策を検討することが重要です。
地域の労働基準協会等において、様々なセミナーが行われています。これに幹部や安全衛生担当者が出席することで、他企業の安全衛生担当者との交流が図られることがあります。また、セミナー講師との意見交換で思わぬヒントが得られることもあるでしょう。セミナーのほかに、中央労働災害防止協会(都道府県支部)や建設業労働災害防止協会(都道府県支部、分会)における「職長・安全衛生責任者教育講習講師養成講座(通称「RSTトレーナー講習」)」なども、他企業の受講者との交流で新たな知識等が得られることがあります。
筆者は、このほか、「安全管理者選任時研修講師養成講座」、「衛生工学衛生管理者コース」などを受講しています。これらを受講することで、安全衛生管理活動を一層活性化させるヒントが得られると考えられます。
企業としては、様々な担当者をこれらの研修会に参加させるだけでは不十分です。その結果を参加者個人のものにとどめるのではなく、社内にフィードバックさせるため、社内での研修会を実施することが必要です。そして、社外研修会の受講者にその講師を務めさせることで、その労働者が受けたものを社内に伝達させることが可能となりますし、さらなる安全衛生活動の促進に役立ちます。