▼執筆者
神戸国際大学経済学部教授/総務省地域創造力アドバイザー
中村 智彦 氏
6月2日に経済産業省より公開された「2023年版ものづくり白書」を読み解く本企画について、3回目となる今回は最後にものづくり白書の第5章を見ておこう。
第5章は「第1節 製造業を取り巻く環境の変化と我が国製造業の現状」「第2節 DXに関する各国の取組状況と我が国における課題」「第3節 カーボンニュートラルに向けた国際的な動向と我が国の取組」から構成されている。
『2023年版ものづくり白書』徹底解剖Part1とPart2は以下よりご覧いただけます。
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目次
日本の製造業が大きな変化に直面している
産業構造の世界的な急変
ものづくり白書の第5章第1節では、「売上高1兆円以上の品目は、米国、欧州、中国と比較すると少なく、売上高が10兆円以上の品目は自動車とハイブリッド車のみであり、自動車産業に大きく依存している」ことを指摘している。さらに「我が国の製造業は、部素材系の製品に強みを持つが、売上高が大きい最終製品については、自動車以外の分野では、米国、欧州、中国と比べると、売上高、世界シェアともに小さく、品目も少ないという特徴があること」を指摘している。
こうした指摘は、日本の製造業が大きな変化に直面していることを示唆している。つまり、自動車以外の分野では、米国、欧州、中国に比較すると競争力が低いと指摘しているのだ。ところが、自動車の電動化の潮流は、世界的に産業構造の変化を引き起こしている。さらに、自動車産業ではテスラが本格導入したギガキャストのように、製造手法そのものが変化する動きを見せている。これまで長年にわたって構築されてきた日本の自動車産業を中心とした産業構造が急変しつつあることが理解できる。この産業構造の世界的な急変が、これまでの強みを弱みに変えてしまう可能性も秘めているわけだ。
想定よりも早くに問題が発生しつつある
さて、白書に書かれている図510-1を見てみよう。これは2022年6月2日に開催された「第1回デジタル時代のグローバルサプライチェーン高度化研究会」の資料として用いられたものである。
ここには「中期的リスク(5-10年以内)」として労働力不足やサプライヤー廃業、エネルギー高騰、地域での武力衝突が上げられている。また「長期的リスク(30年以内)」として産業構造変化、気候変動、人口動態・市場縮小などが分類されている。しかし2023年7月の現時点で見ると、これらの問題が想定されている以上に早くに発生しつつあることに気づくだろう。
▼製造業に影響を与えるリスク要因▼
(経済産業省「2023年版ものづくり白書(全体版)」より引用)
ものづくり白書が示す『DXを進める2つの方向性』
このように大きく変化する産業構造の中で、必要だとされているものの1つがDXである。第2節において、DXは「企業の競争力を高めるために必要な取組」とし、特に「脱炭素とサプライチェーン強靱化の取組」において必要だと指摘している。
DXの取組については、白書では2つの方向性を示している。1つは「事業の効率化」である。事業の効率化については、事業全体の見える化と数値化を行うことだ。そしてもう1つは「事業の創造」であるとしている。
白書では「そもそもDX(デジタルトランスフォーメーション)とは何か」について述べている。しばしば指摘されることであるが「デジタル技術やツールを導入すること自体」をDXであると理解されがちである。しかし本来は「データやデジタル技術を使って、顧客目線で新たな価値を創出していくこと」を指す。つまり、機器類やソフトを購入してもDXは実行できず、むしろビジネスモデルや企業文化等の変革に取り組むことが重要なのだ。
▼そもそもDX(デジタルトランスフォーメーション)とは何か▼
(経済産業省「2023年版ものづくり白書(全体版)」より引用)
個社やグループを超えたデータ共有を通じた最適化
さて、製造業のDXの目的として、白書では「サプライチェーンの全体最適化」を指摘している。従来は「取引関係はグループ内の企業間や、既存の取引関係の中で固定的であり、平時においては高い生産性を発揮してきた」が、企業を取り巻く環境が大きく変化している中で「個社やグループを超えたデータ共有を通じた最適化を図っていくことが必要」となっていると指摘している。
企業の経営上の問題だけではなく「SDGsの観点からも、温室効果ガス排出量や人権保護等の情報を把握していくこと」が必要になってきていることも指摘している。
厳しい状況にある我が国のDXに向けた取組状況
このように、DXへの取り組みが重要となっている中で「我が国のDXに向けた取組状況と課題」について、白書は国際比較でも厳しい状況であることを指摘している。
先に述べている「サプライチェーンの全体最適化」についても「他社や他業種とのデータ連携・利活用については、半数近くの企業が必要性を理解しつつも、実施できていない」が製造業全体の約半数を占めている。それは日本の企業が「高度なオペレーション・熟練技能者の存在によって、現場の最適化・高い生産性に強み」を持っていたことが背景にあるとしている。
▼他社や業種をまたぐデータ連携・利活用の状況▼
(経済産業省「2023年版ものづくり白書(全体版)」より引用)
自社以外の企業間でのデータ共有を行うことについて、中部地方のある製造業企業の経営者はサプライチェーンの全体最適化が重要なこととはいえ、「自社の情報が他社に筒抜けになるのではないかという懸念がある。特に現場は、それぞれのノウハウや独自技術にこだわりがあり、それらを明らかにしてしまうことはコア・コンピタンスを失うのではないかという恐怖もある」と話している。
サービス事業者の登場
こうした状況に対して、白書では「標準化、デジタル化を進めることで、製品設計のみならず、生産ライン設計や現場のオペレーションを形式知化し、これらをサービスとして製造事業者に販売する事業者」であるサービス事業者の登場を指摘している。
これまで現場の「暗黙知」(簡単に言語化できない経験や勘、直感などに基づく知識)とされていたものが「形式知」とされ、他業種から製造業へ新規参入した事例として、ベトナムの自動車メーカーであるVinFastの事例を挙げて説明している。
白書は「サービス事業者やビジネスモデルが発展していくことは、製造事業者の稼ぐ力が増すだけでなく、製造業全体の生産性向上につながる可能性がある」と指摘し、さらに「GXの実現にも不可欠」ともしている。GXとは、グリーントランスフォーメーショのことで、経済産業省が提唱する脱炭素社会に向けた取り組みのことを言う。目的は、地球温暖化による気候変動や異常気象の加速を抑えること、つまりカーボンニュートラル(脱炭素)の実現にある。
脱炭素の実現に向けた動向
脱炭素に向けた世界的なルール形成が進む
白書では「国際的には、脱炭素に向けた取組を企業の評価軸とする動きが高まっており、かつ、温室効果ガスの排出量等に基づく規制強化や、市場ルールの形成が進んでいる。」ことを指摘している。
欧州連合(EU)と米国が進める炭素国境調整メカニズム(CBAM)などが、その指摘の1つである。日本の製造業において、大企業では温室効果ガス対策や再生可能エネルギー導入を中心に取り組みが進む一方で、中小企業ではこのような取組が進んでいないのが実情である。
▼脱炭素に向けた取組の内容▼
(経済産業省「2023年版ものづくり白書(全体版)」より引用)
世界的な規制強化や市場ルールが形成されることで、日本の企業の国際競争力の低下につながる懸念が、この白書での記述に繋がっている。
脱炭素の取り組みに向けた資金調達【サステナブルファイナンス/ESG投資】
白書では最後に、脱炭素の取り組みへの資金調達について述べている。全体として白書では、脱炭素への取り組みを急ぐために、企業がDXを導入しサプライチェーンを構築する必要性を説いている。そして、最後にそのために必要な資金をどのように調達するのかについて解説している。その資金調達を行うのが、企業の脱炭素化を含む新たな産業・社会構造への転換を促す「持続可能な社会を実現するための金融(サステナブルファイナンス)」である。
また「ESG(Environment Social Governance) 投資はその1つであり、世界のESG投資額を集計しているGSIA(Global Sustainable Investment Alliance)の報告書をみると、世界の運用総額に占めるESG投資額の割合は、2016年から2020年にかけて、27.9%から35.9%に増加している」ことを白書は指摘している。
その上で「2050年カーボンニュートラル目標の達成に向けた経済・社会の移行(トランジション)を円滑に進めるために、長期にわたる多大な投資が必要となることから、これを支えるトランジション・ファイナンスの重要性が増している」としている。
持続可能(サステナブル)な社会を実現することには、「脱炭素だけでなく、人権の尊重、ダイバーシティの推進、働き方改革など多くの観点を含む」という非常にスケールの大きな話になる。
白書では最後に、経済産業省が「社会のサステナビリティと自社のサステナビリティを同期させることや、そのために必要な事業変革」を「サステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)」と定義したことと、経済産業省が東京証券取引所と共同で「企業と投資家の双方に対するSXの重要性への理解の向上と両者の対話促進に向け、サステナビリティ課題の解決を通じて企業価値向上に取り組む企業を「SX銘柄」に選定する制度の検討を行っている」ことを記述している。
多くの課題を示した2023年度版「ものづくり白書」
今回の「ものづくり白書」には、日本の製造業が直面する課題が多面的に指摘されている。急激な高齢化と人口減少に直面し、労働力確保の困難と、 コロナ禍後の倒産・休廃業が急増していることなど、厳しい状況が述べられている。さらに、ものづくり人材の能力開発の問題が指摘され、国際比較でも遅れを取っているDXについて指摘している。
そして、このDXに関して目的が企業の生産性向上や利益確保だけにあるのではなく、脱炭素への取り組みとして、さらには持続可能な社会作りのためのものであることを白書は解いている。
しかし、その道のりは簡単ではない。白書でも、最後に資金調達について触れられているが、それらが実現するのはまだ少し先のことである。
日本の貿易の20%を占める自動車産業は、世界的な電動化の動きの中で、産業構造を大きく変えようとしている。2023年度の「ものづくり白書」は、そうした背景を理解した上で、経営者は自社にどのような影響があり、どういった対処法があるのか、読み解く必要があるだろう。
執筆者プロフィール
神戸国際大学経済学部教授/総務省地域創造力アドバイザー
中村 智彦 氏
1964年東京生まれ。上智大学文学部卒業。名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程を修了。学術博士号取得。民間企業勤務で営業、経理、総務、海外駐在を経験し、その後に大学院進学。大阪府の経済経営系の研究所に勤務の後、大学教員に転じ、現在、神戸国際大学経済学部教授、関西大学商学部非常勤講師、愛知工科大学工学部非常勤講師などを務める。
総務省地域力創造アドバイザー、自治大学校講師、市町村アカデミー講師のほか、山形県川西町、東京都北区、京都府向日市など自治体のアドバイザーを務める。専門は、中小企業経営と地域振興